「アートの街」のタネをまき、育てる場所。/アトリエ日ノ出町

アトリエ日ノ出町

京浜急行日ノ出町駅から大岡川沿いを歩いて約5分のところに、絵画・造形教室「アトリエ日ノ出町」がある。ここでは、子どものためのアート教室や大人向けのデッサン会、水彩スケッチ教室などが日常的に行われている。講師を務めるのは現役アーティストの方々。その代表を務める山田裕介さんも、*黄金町アーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)に参加したアーティストだ。AIRのプログラムが終了した後も街にとどまることを決め、「アトリエ日ノ出町」を立ち上げた。

もともと彫刻や巨大インスタレーションを作り続けてきた山田さんは、なぜここでアートを教える場所を開いたのだろうか?

*黄金町アーティスト・イン・レジデンスについての詳細はこちら
https://www.koganecho.net/artist-in-residence/

子どもがものづくりをする場所が欲しい

京急線日ノ出町駅から黄金町駅の間、大岡川沿いの一帯は、かつては違法風俗店が立ち並び、近隣の人は足を踏み入れるのすらためらう場所だった。2005年にそうした店を警察と連携して一掃。建物をスタジオなどに改装してアーティストを招聘・支援し、街ごとアーティストの創作・実験の場として開く、AIRなどを通じて、アーティストとともにまちづくりを推進している。

山田裕介さんは、2012年から2017年12月まで黄金町AIRに参加していた。AIRのプログラム終了後もこの地で住居兼スタジオを構え、2019年にはアトリエ日ノ出町を立ち上げた。

「『アトリエ日ノ出町』の特徴は、現役のアーティストが先生をしていること。今も苦悩しながら制作している作家が教える場所なんです。僕は立体と彫刻で、ほかには版画、彩色、絵描きなどそれぞれ異なるジャンルの作家たちが参加してくれています」

アトリエを立ち上げるきっかけの一つになったのは、山田さんがAIR参加中の2016年に始めた「黄金町BASE」というプロジェクトだ。

「AIRに参加していた時期のスタジオに、自然と子供たちが集まるようになったんです。大人たちが会社にいるはずの昼間、大人がボロボロの格好でセメントをこねているのが不思議だったんでしょうね。こちらをチラチラ見ている子どもに『ノコギリ使ってみる?』などと声をかけたのが始まり。最初は2、3人だったのが10人ぐらいに増えて、1階のスタジオで勝手に何か作るようになりました。みんな本当に熱中するんです。そんな姿を見ていて、子どもってこんなにものづくりが好きなんだ、と実感しました」

そんな姿を見て始めたものづくりの場「黄金町BASE」は、参加費無料で週2回開催(コロナ禍では週1回金・土交互)。山田さんらアーティストが工具や材料の扱い方を教え、子どもたちは自由に創作活動をする。そこでは、アーティストと子どもはあくまで対等な存在。特別なカリキュラムはなく、友達と集まって宿題やゲームをやるために来る子もいる。

そこに集まる子の中には、家庭環境が複雑な子がいた。また、この地域は海外からの移住者が多いため、日本語が不得手な子もいた。

「子どもたちが中学生くらいになって自分の置かれた環境に疑問を抱いた時、グレるしかない。昔だったら不良になって目立っていたかもしれませんが、今は見た目は普通の子と変わらないので、周りに気づかれないまま間違いを犯してしまうということも耳にします。疑問や不満を持った子たちが思い切り釘を打ったり板を切ったりすることで、心に溜め込んだものを吐き出すための場でもあるんです。また、言葉にまだ不慣れだと学校での友達や先生とのコミュニケーションに苦労しますが、ものづくりなら身振り手振りだけでやり方を学べるし、作るものが面白ければ周りの子から一目置かれるし、言葉がなくても笑い合うことができます」

黄金町BASEを通じて、ものづくりが子どもにもたらす影響を感じるようになったことが、「アトリエ日ノ出町」のヒントとなった。

AIR後も街にとどまる覚悟

以前から、日ノ出町・黄金町エリアには幅広い世代が交流できる場が必要と考えていた山田さんは、絵画・造形教室の設立を思い立つ。そこで、この地域でまちづくり活動を推進するNPO法人・黄金町エリアマネジメントセンターに「毎日誰かしらいて、大人も子供も通える教室を作りたい」と相談し、空いている物件を貸してもらえることになった。それが「アトリエ日ノ出町」である。

AIR終了後にこの地域に腰を据え、継続的に街に関わる覚悟をしたアーティストはまだ少数派だ。それでも山田さんがこの決断に至った背景には、ある人との約束があったという。

「黄金町に来てからお世話になっていた方に『地域に何か残して欲しい』と言われたことがあります。『君たち作家はここで作品を作っても別のところで発表して、やがてよそへ行ってしまう。そうじゃなくて、ここで何かを残してほしい。でないと、地元の僕らにとっては君たちと仲良くなった意味がなくなってしまう』と。その方は街にいるアーティストと住民の繋ぎ役のような存在だった。僕のことも気にかけてくれて、色々なことを語り合いました。でもその話をしてしばらく後に本当に残念なことにその方は亡くなってしまい、その後、僕にできることがあるならやらないといけない、とずっと考えていたんです」

山田さん自身、AIRに参加している間はまちづくりを頑張っていたアーティストが、プログラムが終わると新しいアーティストと入れ替わってしまい、経緯が引き継がれない状況に思うところがあったという。こうした経験や思いも、アーティストと住民が関わりを持つことのできる常設の施設「アトリエ日ノ出町」設立のアイデアに繋がっていった。

現在「アトリエ日ノ出町」では、子どものためのアート教室のほか、大人が対象の水彩スケッチ教室、銅版画教室を運営中。講師は山田さんのほか、協力を申し出てくれたアーティストたちが務めている。

子どものアート教室は、4歳から小学生が対象。1時間半の授業が月三回行われ、カリキュラムに基づいて絵を描いたり工作をしたりする。

大人向けの教室は、近隣の吉田町にあったデッサン教室の閉鎖に伴い、そこに通っていた人々を受け入れる形でスタートした。

「大人の教室は、赤線時代の黄金町を知る世代の意識を変えることが目的です。その世代の方に街が変わったことを知ってもらわないと、いつまでも過去のイメージを周りにも伝えてしまいます」

以前教室があった吉田町は、画廊やアート関連のショップが集まる地域。そこにある教室に通っていた人々からすると、日ノ出町・黄金町への移転には抵抗があったようだ。しかし実際に通うようになると、この地域に対するイメージは前向きなものに変わってきた。

「『今まではとても自分たちが来られるような場所じゃなかったのに、こんなに変わったんだ!』と感動する人もいました」

この地域を、自立したアートの街に

現在、アトリエには総勢約70人、うち子どもは50人ほどが通っている。

「コロナ禍の影響はあります。学校が休みになり、テレビを多く見るようになってたくさんの情報に触れて、外に出るのが怖くなったという子もいます。授業が再開してからも、たくさんの禁止事項があり窮屈に感じている子もいるようです。だからうちでは、アルコール消毒やマスク着用はもちろん、検温やアクリル板の設置など基本的な対策は徹底しつつ、できるだけのびのびと作業ができるように運営しています。制作にまで厳しくしてしまうと、子どもの『心の逃げ場』としての意味がなくなってしまうので。週1回、1時間半の教室では、絵を描いたり工作を通して言葉にならない思いを表現して楽しく過ごして欲しいんです」

AIRに参加するか否かにかかわらず、ここに住み続けるアーティストがもっと増えてほしい、と山田さんは言う。

「文化は10年やそこらでは持続できないと思います。今まで街と関わってきたアーティストや街の方々の思いを次に生かせるようになれば、さらにこの街は変わっていくと思います。今、主にまちづくりのために動いているのは黄金町エリアマネジメントセンターですが、もっとアーティストが主体的に活動できるようになるといいのでは。アーティストは、積極的にまちづくり協力する人からそこまで手を出さない人まで、いろいろなレイヤーの人がいていいと思います。ジャンルも思いも多様な人たちが出会って気軽に何かを始められるようになれば、本当の意味で自立したアートの街になっていくのではないでしょうか。

そろそろ『”危ない街”のイメージを払拭しよう』という今までの活動から、次のステップに移行したいですね。この街は自分が動けば変わる。それがこの街の魅力ではないでしょうか。そして、それが見えるようになれば人は集まってくると思うんです」

黄金町BASEやアトリエ日ノ出町の卒業生の中には、山田さんのプロジェクトや作品づくりに参加するようになった子もいる。
「黄金町や日ノ出町が、横浜市が謳う『創造都市』の見本になると面白い」と山田さんは言う。アトリエ日ノ出町は、そんな未来のためにタネをまき、育てる場になりつつある。

アーティストでアトリエ日ノ出町代表の山田裕介さん

取材・文/柴﨑 朋実

アトリエ日ノ出町
2019年に開設した造形教室。小学生までが対象のアート教室のほか、大人が対象のデッサン会、水彩スケッチ教室、銅版画教室、平面絵画教室(現在は調整中)がある。

住所:横浜市中区日ノ出町2-165
TEL:045-341-0500
HP:https://www.atelierhinodecho.com/